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篠沢教授の死因は肺炎!病気のALSの症状とは?息子と妻を亡くした人生

篠沢秀夫教授が84歳でお亡くなりになりましたね。

篠沢教授といえばALSで苦しみながらも、最後は少し動く手で手紙を書いたり、翻訳をしたりされていました。そんな篠沢教授を襲ったALSとはどんな病気だったのでしょうか?

また篠沢教授は、息子さんと最初の奥さんを一度に亡くしています。辛かった人生を最後支えてくれたのは、今の妻礼子さんでした。

そんな篠沢教授を追ってみます。


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篠沢教授の死因と病気ALSとは?

篠沢教授の死因は肺炎です。しかし篠沢教授はALSをいう病気で苦しんでいたのです。

篠沢教授がALSになったのは2009年2月。それから約8年筋萎縮性側索硬化症(ALS)と闘病しました。そんなALSとは・・・。

篠沢教授の病気ASLの症状

ASLとは初期にでてくる2タイプの症状があります。1つは手や足に力が入りにくくなるタイプ、もう1つは舌や口が動きにくくなるタイプです。
5人のうち3人は手足に、2人は舌や口に初期症状があらわれます。

ALSはだんだん運動神経が損なわれていき、症状はどんどん進行していき止めることができません。ALSの進行スピードは人によって違いますが、体の筋肉に力が入らなくなり、歩くことが難しくなってきたり、口や咽頭の筋肉の力が弱まり声が出しにくくなり、食べ物などを飲み込むことも難しくなってきます。

さらに、呼吸する筋肉の力が弱まると呼吸がしにくくなりますが、考えたり、見たり聞いたり、感じたりする機能は失われることはありません。

あくまでも運動機能がどんどん進行と共に動かなくなるのです。また筋肉がけいれんを起こしたり突っ張ったりして痛みも伴います。

最後は息ができなくなり、人工呼吸器の装着による延命となってしまいます、ALSは進行を遅らせる治療法しかなく、治らないため最後は死に至ります。

篠沢教授もALS発症から約1年後には、人工呼吸器の装着が必要になりました。最後は自分では呼吸ができず、ご飯も食べられず、手足なども動かすことができなくなり、人工的な機能がないと生きていられなくなるのです。寿命は約3年ほどだといわれています。

 

篠沢教授は8年生きました。きっと奥さんや家族の支えがあったからこそだと思います。


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篠沢教授が息子と妻を亡くした理由

篠沢教授は4つ上の奥さんと結婚し、フランスへ行くのですが、その旅先で篠沢教授が運転する車が事故に合い、奥さんだけが亡くなってしまうのです。

この時に生き残った篠沢教授と息子。篠沢教授は一人で息子さんを育てることになります。しかし篠沢教授が42歳のとき息子の玄さんは、海水浴で高波にさらわれ亡りました。14歳でした。

男手1つで育てた息子が亡くなってしまった篠沢教授は、どんな辛い思いで過ごしたのだろう・・と胸が痛みます。

そんな気持ちをブログに書いておられました。

 

2010年8月29日日曜日

息子の命日

玄が亡くなった昭和50年8月29日には、

私は42歳、

今、玄が生きていれば50歳だ。

時間の重みを感じる。

 

奥さんを自動車事故でなくし、息子さんを水の事故で亡くした篠沢教授。どれだけ辛い思いをしたのか計り知れません・・。

そんな篠沢教授のブログはこちら ⇒ 篠沢教授のブログ

 

篠沢教授は1965年に今の妻の礼子さんと再婚。子供にも恵まれましたが、初めての結婚の子供である玄さんを再婚してから亡くしてしまったのですね。この気持ちはずっと篠沢教授の心の中だけにあったのだと思います。

そんな中、篠沢教授は69歳のときに出した詩集の中で、この息子さんのことを語っている詞がありました。

子供の僕が、死んだぼくの子供と、半ズボンで野原を走る

手をつないで走る まじめに走る それは息子だ。同じ背だ。

そして生きている娘が、ぼくたちの妹になってうしろを走る

篠沢教授はどんな思いで、この詩を書いたのだろうと思います。ALSにかかったのはこの6年後でした・・・。

野良のまとめ

クイズダービーでは、優しい笑顔で面白いことをいいつつ、場を和ませていた篠沢教授。そんな笑顔の裏では奥さんを事故でなくし、息子も事故でなくした過去がありました。

そしてALSという、進行して治らない病との闘病。篠沢教授の人生は辛く大変なことが多かったのだろうと思いつつも、絶やさぬあの優しい笑顔がずっと忘れられません。


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