佐喜眞(さきま)保さんは子供のころに脊椎カリエスという病気にかかってしまいます。絶望の中で生きてきた佐喜眞保さんが生み出したCBブレース。
このCBブレースのおかげで歩けるようになり人生が変わった人が多数。そこには佐喜眞保さんの沢山の思いが詰まっていました。
多くの人のヒザを助けるキッカケとなった、佐喜眞保さんがかかった脊椎カリエスとは一体どんな病気?そして症状や治療法は?どんなものだったのでしょうか?
CBブレースにたくす思いもお届します。
Sponsored Link
佐喜眞保の脊椎カリエスとは?
脊椎カリエスとは、肺からの結核菌が原因で起こる結核性脊椎炎とも呼ばれる骨関節感染症の一種です。
元々持っている病気ではなく結核菌から感染し、腰椎と胸椎に多く発症します。昭和40年代には多かった病気で、今では少なくなりましたが、まだ高齢者などが感染しやすい病気です。
脊椎カリエスの症状は?
脊椎カリエスの症状は全身と部分的なものの2種類があります。
全身の症状は、結核による貧血や疲れやすい、だるい、微熱などの症状があります。菌で感染した部分を押したり、たたいたりすると痛みが走り、脊椎周囲の筋肉がどんどんかたくなり、脊椎の運動ができなくなります。
進行に伴い合併症を起こし、感染部分に膿がたまり麻痺が起こったり、背中が曲がったり、破壊していくなどの症状が起こります。
脊椎カリエスの治療法は?
脊椎カリエスの治療法は、初期では安静を保ち、抗結核剤の投与による化学療法を行います。菌を死滅させる治療です。
しかし骨が破壊されていくことから感染の病巣を取り除く手術や骨を移植する手術が行われることもあります。
結核菌が原因で起こる脊椎カリエスに感染し、絶望と痛みに耐えてき佐喜眞保さんが、どのようにしてCBブレースを開発することになったのでしょうか?
Sponsored Link
佐喜眞保のCBブレースへの思い
佐喜眞保さんは二歳の時、結核性脊椎カリエスにかかり、それ以来脊柱を固定するために毎日コルセットを着ける生活が始まりました。
昔のコルセットは皮でできており、蒸れるとかなりの激臭を放つものだったそうです。ずっと重いコルセットで身体を押さえつけられた生活。
ここにCBブレースを軽量化したいという思いが詰まっています。
また佐喜眞保さんは身長が141cmしかありません。脊椎カリエスで背骨が曲がりコブもできていたからです。このことがコンプレックスになっていると語っています。
そのせいで母親に「なんで産んだんだ」とあたりちらし、グレた時もありました。そんなある日母親がもうダメだと思い、横浜の親戚の家に預けます。
しかし佐喜眞保さん、親戚の家を1周間で逃げ出し、日雇いなどの仕事をしたのちに、溶接工の仕事につき力をつけていきました。
自分にも自身がついて来たある日、北海道の幸福駅にいってみようと出かけますが、電車を間違え石狩についてしまいす。お金も底をついており途方にくれていた佐喜眞保さんは腕に自信があった鉄工所へ転がり込みました。
そこで出会った脳性麻痺の6歳上の女性と佐喜眞保さんは結婚します。奥さんをちゃんと歩かせたい。誰かに喜んで貰える仕事がしたいと佐喜眞保さんは義肢を作る仕事につきました。これがCBブレースを開発することになる第一歩だったのです。
しかし最初はうまくいかず、借金まみれになったことも。そんな中でも必死で誰かを助けたいという思いで続けてきた結果、1組の夫婦と出逢います。
尖足の妻を歩かせたい、という夫の思いを胸に何度も何度も試作しました。作る度にうまく歩けず、「あんた、 出来るゆうたやろ」と夫に怒鳴られながらも試作品をつくる佐喜眞保さん。
あらゆる試行錯誤を考えどれだけ作ってもうまくいかない。
とうとう佐喜眞保さんは、すべての策を使い果たしてしまった。そして「もう無理です、すみません」と夫に謝ったとき、あれだけ怒鳴っていた大柄の旦那さんが、落胆でがっくり肩を落とし小さくしぼんだ。
そして奥さんを連れ、トボトボ帰っていく背中をみて佐喜眞保さんは思わず叫びました。
「もう一度やらせてください」
佐喜眞保さんは、何度も試行錯誤をしながら非常識と言われていた方法である試作品を作りました。
そして着用、手を離したとき・・・歩けたのです。
あれだけ何をやっても歩けなかった、奥さんが歩けたのです。
それがCBブレースの誕生でした。CBブレースは佐喜眞保さんの沢山の思いが詰まったものなのです。歩けるようになって欲しいという願いが。
野良のまとめ
CBブレースの誕生は、何年もの苦労の中から生まれた商品だったのですね。
佐喜眞保さんのもう一度歩けるようになってほしい、幸せにしたいという執念の気持ちが産んだCBブレース
今日も誰かがCBブレースで歩けるようになり、笑顔が増えていくのです。
Sponsored Link