玉沢徳一郎さんが銃撃され驚きましたね。
幸い足にケガしただけで済みましたが、銃撃事件にまで発展した借金問題の原因は何だったのでしょうか?
それが「玉沢徳一郎に告ぐ」全文章でわかります。
また銃撃された自宅住所や場所、家族や息子のことがわかります。
Sponsored Link
玉沢徳一郎の自宅場所や住所は?
玉沢徳一郎さんが銃撃された自宅は、住んでいる自宅ではなく奥さんの実家でした。
実は住む人がおらず、傷んでくるため2年前から住んでいたとのこと。
玉澤徳一郎の自宅画像が公開!住所は盛岡市材木町?銃撃現場は中ノ橋通と判明 – Sky-Journal https://t.co/6dMOT3nfIN @さんから
— ema (@ema51097864) December 10, 2019
詳しい住所は、岩手県盛岡市中ノ橋通1丁目8付近で、場所は盛岡市葦手町の「中の橋通り」を1つ入った所です。
玉沢徳一郎の家族は息子や嫁?
玉沢徳一郎さんの家族は妻と二男一女の5人家族です。
妻と娘、次男については一般人なので、詳細はわかりませんが、玉沢徳一郎さんの長男は、一度政治家を目指した玉沢正徳さん。
玉澤徳一郎元農水相が銃撃される 命に別条なし 容疑者は確保 – FNNプライムオンライン
自民党関係者によると、男は玉澤さんの高校の同級生で、男と同姓同名の人物のホームページには、玉澤さんと金銭トラブルがあることが書かれている。 https://t.co/blh6lv4oLf #FNN— 暴れる短足犬ส้้้้้้้้้้้้ (@yotuashi_nagaya) December 10, 2019
玉沢正徳さんは、1999年に日本財団に就職し2006年に退社、2007年に岩手1区で出馬するも落選。
現在は、自由民主党岩手県第一選挙区支部長に就任しています。
妻、長女、長男の4人家族です。
玉沢徳一郎さんは、残念ながら息子の玉沢正徳さんが政治家になれず、自分の選挙区の後継ぎを他に渡し2009年に政界を引退しました。
男の子が2人いますが、どちらも後を継ぐことがなく残念に感じていたかも知れませんね…..。
Sponsored Link
玉沢徳一郎の現在は?自宅で銃撃されるほど借金があった?
玉沢徳一郎さんは、1976年に初当選して衆院議員を9期務め、94年に村山内閣で防衛庁長官、99年は小渕内閣、2000年森内閣でそれぞれ農相を歴任。
2007年政治活動費の領収書改ざん問題をおこし、2009年に引退。
72歳で引退するまで39年間政治家として仕事をしてきたため、借金するほどお金がなかったとは考えにくいです。
では実際、なぜ借金問題で銃撃されたのか?
玉沢徳一郎さんを銃撃した、 高橋ひさしさんは高校の同級生。
こんな政治団体を設立しているので、相当前から根に持っていることがわかります。
政治団体設立いたしました。
政治団体の名称
サギシ・ゴロツキを議会から排除する会党派問わず会員募集しております。
お気軽にお問い合わせください pic.twitter.com/WsA1qXImbz— 告発者 高橋ひさし@拡散希望 (@osam12123) June 23, 2016
玉沢徳一郎さんが引退後落ちぶれ、お金を貸していたのかと思いきや、政治活動を手伝っていた時にお金を貸しており、訴訟したにも関わらず全く返って来なかったと、玉沢徳一郎に告ぐ全文に記載されていました。
これが銃撃事件にまで発展した、金銭トラブルの全容です。
#玉澤徳一郎 は選挙に出馬する際に、高校の同級生の #高橋脩 からバラマキ用の裏金として1000万円借りたけど返さなかった。
高橋が裁判起こしたら、玉澤は認めたがお金は時効ということで返してもらえなかった。
裏切られたからそれを公表して、殺そうと思った。そんな感じ? pic.twitter.com/iuliMfY1KF— スッキリ (@3ymqp0) December 10, 2019
高橋ひさしさんは農業をしており、政治活動を手伝いながら多額のお金を貸し、政治家になれる道を作ってきました。
しかし、政治家になり稼いでいるにも関わらず、お金は全く返ってきませんでした。
その額1000万円。まぁ、返って来ないと銃撃したくなる気持ちもわかりますが、なぜ今なのでしょうか?
現在、お金に苦しくなったなど何か原因があるのだと思いますが、かなりの恨みがあるように感じます。
その恨みがこもった「玉沢徳一郎に告ぐ」全文がこちらです。
Sponsored Link
「玉沢徳一郎に告ぐ」全文
以下は一部抜粋文です。
全文は上記のリンクから読めます。
先日の三月二十二日の話し合は辛辣で、不愉快なものであり、小生承服できるもので無い、吉田潤一君の体調は週三回の透析、体重四十キロそこそこ、食も進まない状態。残念であるが現状維持が良しとしなければならない事は貴君も解っているはづだ。少年の頃から好きだった文学、詩の1つでもの気分なってユックリしたものにしてもらいたい、と云うのが小生の考えである。
ドロドロしたクソツボ様なところで彼を終らせたくはない。貴君は吉田とは死ぬも生きるも一緒だ、と目をむいて、大声で云うが意とするはなんだ。彼は貴君の政治思想、哲学、業績等に惚込んでそこにいることでないことは確認してから貴君を訪家している。彼は体力の限界を感じてやめると云ったのに対して、貴君は吉田の精神力は云々、北上川下り云々、と云ったと聞く。精神だ、魂だ。事実とすれば六十年前の、神風特攻と相通づるものだ。
吉田君が辞めると云ったら、事務所の全員がやめると云いだしたと聞く。これに対して、多賀さんは馴合、恁合と云うが、それは当らない。貴君の人間としての魅力のないこと、人徳の無いことの結果である。
彼は少年の頃、ヘミングウェイに惚れ込んだ時期がある。 国家か、友か、又人殺をしてしまった者でも友は友だの思い、事務所の全員が辞めると云いだしたこと。これ等がゴチャゴチャになって身動きがとれなくなってしまっているのだ。人の生命をどのように考えているのだ。政治活動をやめることが、自分が死ぬことだなどと考えているのではあるまいな。貴様の政治家願望などそんなカチのあるものでない。野望に押し流され友に対しての涙(目から出ることでない)の一滴もなくなってしまったか。
宮守村長選のことはこのこと1つだけでなく同じようなことが小生の限られた知る内にも山のように多く聞こえて来るから勘弁出来ない。歴史を見れば親、兄弟を殺して権力の座についた者は多くいるだろうが、現今の日本では通る話でない。身内、友人、他人、みさかいなく踏台にして国会議員になって何をやると云うのだ。その様なことまでして推し進めなければならない政治思想、哲学、大義があるなら。小生白髪頭ではあるが、貴君の大きな目玉が飛び出るような大金を授業料として用意し、弁当を持って毎日教えを乞いに参上する。
最近吉田君に、高橋が金を借りて行ってから疎遠になったと云ったと聞く。金を返せなくなって寄付がなくなったとでも思ったか。お門ちがいもいいかげんにしたまえ。どっちが借りて、どっちが貸してると云うことだ。貴君に願われ何拾回も出しているが、一度でも借用証など口にしたことがあったか。先日会うまで催促したことがあったか。貴君は借用証を求め弐百五拾万円の書面を自分で確認し、明日東京から送金するとの約束で 借用書を吉田君に預けわかれた。翌日送金されたのは壱百五拾万円であった。あわてて電話したら、百万円はそっちでなんとかしろよ。との話であった。生れて始めての貴君に対しての金のたのみであった。貴君に何拾回となく用立しているが、この様なことをした覚えはない。一度でもあったら書面にて知らせてくれ。
Sponsored Link