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こまどり姉妹敏子のダイエット法は?年齢や現在までの壮絶な過去|爆報!フライデー

こまどり姉妹の妹:敏子さんが2ヶ月で7キロ痩せたダイエット法はどんなものだったのでしょうか?爆報!フライデーで紹介されます。

また年齢はいくつなのでしょう?ダイエットが成功するならその年齢も気になりますよね。

そしてこまどり姉妹といえば壮絶な過去。かなりの過去を乗り越えていますが、どんな過去を乗り越えて来たのでしょうか?

こまどり姉妹についてお届します。


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こまどり姉妹敏子の2ヶ月で7キロ痩せたダイエット法

こまどり姉妹の妹の敏子が2ヶ月で7キロのダイエットに成功しました。

こまどり姉妹の敏子は79歳という年齢のせいで3倍ほど痩せにくいのに、それでも痩せたダイエット法はどんなものだったのでしょうか?

もともと148cmで47キロだったのが54キロに。痩せた理由がコレ!

  • 脂肪燃焼のため、サウナの前にコーヒーを飲む
  • ご飯のかわりに大根の千切り
  • ヒレ肉や赤身の肉を食べる

たったこれだけです。炭水化物を減らし、タンパク質である肉をたべ、サウナで汗をかく。この3点で2ヶ月で7キロ落ちるのは凄いですよね!

 

ポイントは炭水化物が少ないことと、脂肪の少ない部分の肉などのタンパク質をとること。新陳代謝のため汗をかくこと。これがポイントなんですね。

サウナに通うのは大変ですが、こんなもので汗を流すと自宅にいながらダイエットできていいですよ。

こまどり姉妹の年齢は?

では気になるこまどり姉妹の年齢ですが、こまどり姉妹は双子です。年齢は昭和13年生まれの79歳!

  • 並木栄子(長内栄子、1938年2月16日 – 、双子の姉)
  • 並木葉子(長内敏子、1938年2月16日 – 、双子の妹)

元気ですよね。死去説がでていますが、まだ2人も元気ですよ!

でも死去説がでるにはワケがあるんです。こまどり姉妹の壮絶な過去にその理由があるのでみていきましょう。

こまどり姉妹の壮絶な過去

こまどり姉妹は、1938年北海道厚岸郡厚岸町で双子の姉妹と生まれました。しかし生まれる1ヶ月前に、母親が井戸に落下して仮死状態になっていた中から生まれたので、かなり劇的ですよね。運の強さを感じます。

父親は炭鉱で働いていましたが、太平洋戦争後で極貧の中炭鉱を転々としていたせいか、小学校は3年生からの入学となりました。さらにそんな中父親が結核にかかり、仕事はクビに。この時の年齢は11歳。

翌年生活は一気に苦しくなり、家賃が払えなくなり夜逃げをし、ホームレス状態になってしまいました。

日銭を稼ぐために2人は、門付(かどづけ)という大道芸の一種で、門口に立ち行い歌や楽器を演奏して金品を受け取る仕事をすることに。ここがこまどり姉妹の歌手への原点なのかも知れませんね。

2人の歌声を買った流し(ギター弾き)の人と組んで、居酒屋などで歌を歌ったり、リクエストを歌う生活が始まりました。

それでも稼ぎで生活は出来ず、相変わらず駅のホームで寝るホームレス生活。食べ物は野菜を盗んだり雑草を食べたりと、かなりひどい状態でした。このときまだ12歳。

 

そして2人は13歳の時に、北海道から東京へ移り、飲食店街で三味線を引きながら歌う生活を始めます。住んでいた場所は東京の山谷。職のない数万人が酒とヒロポンに溺れる山谷は誰も近づけないくらいの環境でした。

 

16歳にもなるとお座敷の余興にでることが出来、一気に稼いで2階建てを購入。やはり強運を持っていた?

そして2人はレコード会社のテストを受け合格!21歳の時に、並木栄子・並木葉子としてデビューしました。流し出身と叩かれる中、名前を公募し「こまどり姉妹」に変更、23歳の時には紅白歌合戦に出場し、その後も7年連続出場。実力が認められたのですね。


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やっと起動に乗ってきた中、28歳の時姉の熱狂的なファンがステージ中に間違えて妹の敏子を刺す事件が起こります。しかも首を狙われ即死状態だったハズでしたが、敏子が左利きだったためとっさに出してかばった左手が運良く、犯人の腕にあたり即死を免れました。ここでもかなりの強運を発揮します。

一時は恐怖でステージに上がることがトラウマになりながらも、殺傷事件の2ヶ月後にはシングル「幸せになりたい」をリリース。本当にここらへんで幸せになって欲しいくらいの2人です。

 

しかしまだまだ不幸は続き、翌年29歳の時、頼んでいた税理士の横領が原因で税金滞納が発生。これがキッカケで芸能界から圧力がかかり、紅白は出場できなくなりました。ひどい話です。

 

さらに追い打ちを掛けるように、33歳のときに妹の敏子がステージ上で倒れ、搬送先で末期がんが見つかり余命1ヶ月の宣告をうけます。どうしても助けたい姉は最後の望みの新薬の投与を決意。

しかもこの新薬100人中、全員が死亡しているというかなり危険なものでしたが、生きる望みがこれしかないと言われ決断。高額な治療費のため1億円以上の借金を背負いながらも、姉は1人でステージに立ち続けました。

 

不幸はどれだけやってくるのか?妹が倒れた同じとしに、母と父が亡くなってしまいます。もう本当にやめてあげてのレベルです・・。

 

34歳の時、妹敏子は新薬が奇跡的に効き生き返り退院。しかしステージに立つことはやめ一旦莫大な借金を背負ったまま芸能界をさることにしました。

敏子が入院中、新薬の副作用なのでもう辛く苦しくて、死ぬだろうと思い、姉に「子供を産んだら、自分だと思って育てて」と伝えていたのですが、まさかのその通り、姉は36歳の時に未婚の母として子供を産むのです。

 

相手と結婚しなかった理由は、「妹が助かったから」でした。ここまで2人で荒波を乗り超えると姉と妹という関係ではなくなり、人生のパートナー、いなくてはならない人くらいの存在だったのかも知れませんね・・・。

 

そして2人で子供を育てながら、スナックなどで働いて返済を続けているそうです。

 

しかし45歳の時に転機が!草津の観光ホテルで1ヶ月公演を皮切りに芸能界を再開します。46歳で「浪花節だよ人生は」を15年ぶりにリリース。やっとこれからか??と思いきや53歳のときに上野にだしたクラブ『ニューこまどり』は62歳の時に潰れ、同年、喫茶店『キャンドル』をだすも5年後の67歳で潰れるハメに。

69歳で歌謡界の大イベント「遠藤実歌謡音楽祭」に出演し70歳で第50回日本レコード大賞で功労賞を授賞。その後は人生が映画化されたり舞台に出たりと次々と再ブレーク。

 

80歳になろうという今、やっと安定した人生を送っている2人。ここまで壮絶な人生を歩んだ2人だからほんと幸せになって欲しいです。

2人の強さはどんなときも前向きで明るい。これがとても大事なことなのかも知れませんね。

最後にこまどり姉妹のヒット曲「ソーラン渡り鳥」をお聞きください。

野良のまとめ

今年80歳になるこまどり姉妹の強さは、本当に凄いとしかいいようがありません。

しかもこんな中でも明るい2人。この2人の壮絶な人生を知ると、ちょっとくらい何かあっても乗り越えられるかもと思えますよね。

 

本当に穏やかで平穏な生活を送り、幸せになって欲しいなと思います!


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